七五三はなぜ11月15日?将軍権限…
11月15日は5代将軍綱吉が独断で定めた日!?
七五三が11月15日となったのは、5代将軍綱吉が定めた日を受け継いでいると言われています。七五三の呼び名は、明治以降東京で呼ばれ出したもので、徳川時代までは、前回までお話した通り、髪置(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解(おびとき)と呼ばれました。
この髪置きを綱吉は、我が子に行おうとしたのですが、11月の中旬にこれと言った吉日はない。側近のものが、必死になっていろいろ調べた結果、あまり知られていない鬼宿日(きしゅくにち)と言う日を見つけたのです。
あまり一般的ではない星の暦にある嫁とり以外は万事に吉日という日でした。しかし実は、鬼宿日は、毎月1回あり年に12回あるのです。11月は15日(旧暦)が鬼宿日にあたり、綱吉が髪置を行ったと言うのです。
ところが、それ以来、髪置と袴着と帯解という子供の成長祝いは11月15日!に行うと定めてしまったのです。
また、他の説では、11月15日に定着したのは武家制度の発展した頃、それまでの霜月祭(家業に関係深い神々を祭る日)によるものとの説や、徳川三代将軍の子
徳松の祝いが15日に行われたのでそれに倣ってこの日に祝うようになったとの説もあります。
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