お月見は2度しなければいけない
末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会
2003/9/1
旧暦の8月15日(今年2003年は9月11日)は「十五夜」と呼ばれ、この日は月の見える場所にすすきを飾り、月見団子、お餅、里芋、お神酒を供え、月を見ながら歌を詠み、お酒を飲むという風習がありました。
俗にお月見と言われるこの風習は奈良〜平安時代初期頃より中国から伝わってきたものだと言われています。
お月見は2度しなければいけない
昔から日本人は月に対しての思い入れがあり、特にお月見の満月は「中秋の名月」などと呼ばれ最も美しい月とされてきました。
しかし、お月見はこの日一日限りではなく、もう一度しなければならないのです。実は旧暦の9月13日(今年2003年は10月8日)にも「後の月」「十三夜」などと呼ばれる日があり、「十五夜」にだけ月見をして「十三夜」に月を見ないのは「片見月」と呼ばれ、良くないことだと言われています。
お月見の起源はやはり中国。でも・・
お月見は元々は中国の「中秋節」が起源とされ、中国ではこの日に月餅を食べていたのですが、日本に伝わるときはただのお餅に変わってしまいました。
中国から伝わったお月見は秋の収穫祭と重なって発展し、秋に収穫される里芋を供えることから「芋名月」とも呼ばれます。
また「十三夜」は中国には元々無かった日本独自の風習です。「十三夜」には、枝豆や栗を供える風習があり「豆名月」「栗名月」とも呼ばれています。
時々雲に隠れる天気も風流があって良し
お月見の夜に雲ひとつ無い良い天気のときは「良夜」と呼ばれ最も喜ばれました。また、時々雲に隠れるような天気も風流があって良いとされました。しかし、雲が厚く全く月が見えないときは「無月」、雨が降っているときは「雨月」と呼ばれ残念がられ、「十六夜」や「十七夜」などに期待していました。
江戸では丸型。京都では芋型
お月見には色々な食べ物を供える風習がありますが、実は平安時代には月見団子を供える風習はありませんでした。
しかし、江戸時代にはお団子とお月見は切り離せない関係になっていたようで、その形は江戸では丸型、京都では芋型をしていたという記録が残っています。
また、団子そのものは古くは縄文時代から作られていたと言われていますが、串団子は室町時代に初めて作られたと言われています。
初めはどこも5個刺しだったのですが、明治時代に入ると4個刺しのものが流行しました。現在では3個〜5個の範囲で串に刺してあるのが一般的です。
お月見のススキはすぐに捨てないように!
お月見に添えたススキは、お月見が終わった後に、すぐに捨てたりしない風習があります。お月見が終わった後は、ススキを庭に差したり、小屋、門、水田に差したりします。ススキには、魔よけになるという俗信があるからです。
<お月見の日取り>
│ │十五夜 │十三夜 │
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│2002年│9月21日│10月18日│
│2003年│9月11日│10月8日│
│2004年│9月28日│10月26日│
│2005年│9月18日│10月15日│
│2006年│10月6日│11月3日│
│2007年│9月25日│10月23日│
│2008年│9月14日│10月11日│
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